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屋上へ行くまでに廊下ですれ違ったのは、サラリーマン風の生身の人間だけだった。
僕は出入りの業者のようにかしこまり、彼らに慇懃に声をかけた。
「失礼ですけど、屋上への道を教えていただけますか?」
当然ながら、誰一人として返答する者はいない。
洗脳されているのか、それとも単純な恐怖心からなのか。
一部の者は別の通路へと逃げ出そうとしていた。
追う必要はない。もういい加減、顔が割れてしまっているのだ。
僕たちは出会う人間には目もくれず、廊下を進み続けた。
途中で、デスクに座り電話をかけている女性が目に入った。
僕は彼女の手から受話器を奪い取り、強制的に通話を打ち切った。
僕は落ち着き払った声で言った。
「屋上への道を教えて」
彼女はデスクから顔を上げ、少し怯えながら奥を指差した。
「今、エレベーターは動いてないわ。非常階段で行くの。非常階段は廊下の左側」
彼女の対応に感謝しつつ、僕らは指示された方向へと駆け出した。
平石も僕の後に続いた。
廊下に出ると、武装した二人の衛兵に遭遇した。
彼らはゾンビ化した自衛隊員だった。
しかし素早く廊下の死角へ移動したため、彼らは僕たちに気づかなかった。
僕らは廊下を全速力で駆け抜けた。
やがて非常口の扉を見つけ、そこに逃げ込んだ。
平石は非常口の天井を見上げ、僕に言った。
〈そう言えば、船橋さんたちはどこに行ったんだろう?〉
船橋の姿は見たが、コンタクトしているわけではないので、ここで待っていたところで、出会う可能性は低い。
凛々子を探して、屋上へ向かう方がまだいい。
非常口を少し進むと、上階へと続く非常階段を見つけた。
僕は階段を駆け上がり、平石も後に続いた。
しばらく階段を上り続けると、踊り場に人集りができていた。
船橋たちだった。
僕と平石は、船橋たちのレジスタンス部隊と合流した。
リーダーである船橋は、無線で本部と連絡を取っているところだった。
船橋は僕らを見るなり、嬉しそうに言った。
「おお、無事だったか。こんなところで会えるとはな」
レジスタンスの応援部隊は十数名で、全員が武装していた。
お互い手話でコミュニケーションを取っているので、船橋を除いては、ほぼ全員ろう者のメンバーだろう。
僕と平石は、少し安堵した。
船橋が無線で情報交換しながら、指揮を取っているようだ。
他のメンバーの話では、僕たちが先ほど上がってきた非常階段を直進してきたとのことだった。
途中でゾンビを倒したとか言っていた。
僕らは一息つくと、さらに上を目指して、行動を再開した。
僕と平石は、船橋たちレジスタンスの集団に合流し、屋上に到着した。
屋上には、凛々子が立っていた。
右手にねじ曲がった金属バットを持っていた。
凛々子は、僕たちを見て、ひどく驚いていた。
「あなたたち! 生きてたの?」
凛々子は、僕と平石の元に駆け寄ってきた。
「もちろん、生きていたさ。河口さんの活躍はドローンのカメラで撮影されてて、モニターで見ていた。でもよく単身で乗り込んだな。危なかった。こっちがハラハラしていた」
僕は凛々子に口話で伝えつつ、皆に伝わるよう手話も使った。
〈でも、どうやってここまで来たの?〉
凛々子は、僕を見て尋ねた。
〈僕らは最初、二人だけだった。ついさっき、船橋さんたちに合流したんだ〉
僕は、船橋に目を向けた。
船橋は、凛々子に少し微笑んだ。
〈お疲れさま。しかし、まあ、よくやったもんだ〉
船橋は屋上に飛散する、ドローンの残骸を眺めながら言った。
凛々子は、ろう者メンバーに頭を下げ、船橋に言った。
〈船橋さんは、爆弾を浴びて吹き飛ばされたかと思ってたんだけど〉
〈あれは加田崎さんだよ。俺の横にいて、爆発寸前に俺を突き飛ばしたんだ。おかげで俺は助かった。噴煙の中探してみたが、加田崎さんは、だいぶ離れた壁の向こうまで飛ばされていて、発見された時には呼吸が止まっていたよ〉
船橋は、悔しげに凛々子に言った。
〈そう……あの人は亡くなったのね。残念だわ。ビルにあったドローンは、どうなったんですか? もっとたくさんあったような気がするんだけど〉
凛々子は空を見ながら、船橋に尋ねた。
船橋は説明に困っていた。
僕が代わりに説明した。
〈あれは、3分の1をあなたが金属バットで叩き壊して、3分の2は別の場所に移動した。ドローンはやはりエイリアンが操っていたんだ。だが、エイリアンもビルから逃走した。ドローンは逃走先に誘導したんだろう〉
凛々子はさらに訊ねた。
〈エイリアンが逃走した? どこに?〉
それは僕には分からない。代わりに船橋が言った。
〈隣町の屋根付き球場に向かっているという情報が入ってきた。そこには、ビル屋上にあったドローンとは比較にならないくらい無数のドローンを格納しているらしい〉
船橋は、凛々子に答えた。
〈まだ、そんなにあるの?〉
僕と平石は、船橋に訊ねた。
〈その情報、どうやって知ったんですか?〉
〈エイリアンと人間を売ってる輩の通信を傍受したんだ。たぶん俺たちにとって、最後の抗戦になるかも〉
集団の中の空気が張り詰めた。
〈最後の抗戦?〉
平石が前に出て、船橋に訊ねた。
〈そうだ。彼らは、ドローンを使って、人類に最後の鉄槌を与えようとしている。彼らは、大型のドローンに核爆弾を搭載させる計画もあるという情報も入ってきた〉
船橋の言葉に、一同は呆然とした。
〈か、核爆弾?〉
一行は、船橋の言葉に恐怖した。
〈どうすればいいんですか?〉
凛々子は、船橋に尋ねた。
〈無論、阻止する。俺たちは、屋根付き球場に行き、ドローンを破壊することしかできない。それが、人類の生き延びる手立てなら、それに尽くすしかない〉
船橋は、決意表明とも言える、激しい手話を使った。
僕らはしばし沈黙した。重い息遣いが集団を包んだ。
河口凛々子がようやく重い口を開いた。
「分かりました」
落ち着き払った声でそう言うと〈では、行きましょう〉とろう者たちに向かって手話で促した。
僕らも当然、同行するつもりだった。
一行は屋上から非常階段の入り口に向かった。
歩く途中で
「でも、困ったわ」
凛々子が少し恥ずかしそうに船橋に言った。
手話ではなく小声の口話だった。
「何ですか?」
「もうバットがボロボロなの」
「今度は、そんな金属バットじゃ、全然歯が立ちませんよ」
船橋が言った。
「でもこんなのしか使ったことがないわ」
鈍器で殴るのが得意な人だからなあ。
「もっと威力のある使いやすい武器が、バスの中に山ほどあります」
船橋はそう言うと、皆を手招きし、階下へ誘導していった。
僕は少し浮かない顔をして、集団の中を歩いていた。
河口凛々子の目が届かないところで、僕は平石にある相談を持ちかけていた。
つづく
